厚生会館から南に500mほど行くと、「徳淵の津」があります。中世から、八代の「城」(古麓城〜麦島城〜松江城)はこの「津(港)」を中心に築かれました。大陸との交易拠点として、歴代の権力者〜平清盛、源頼朝(妹)、執権北条氏、豊臣秀吉らが直轄地として押さえたことからも、日本有数の重要な交易拠点であったことが解ります。
「徳淵」の「徳」は財宝を意味し、貿易商人で賑わう港は富を蓄えた町衆を生みました。また、財力のみならず、古麓時代から武家のみならず町人も連歌や能楽を楽しむほどの高い文化レベルを誇った八代は、港を拠点に中央と直結した大・文化都市だったのです。
小西行長が徳淵の対岸に築城した麦島城は地震で倒壊し、その後加藤正方によって八代城が築かれます。加藤家改易ののちは利休の高弟で戦国随一の文化人大名として知られる細川三斎(忠興)が入り、晩年(70歳~83歳)を過ご す中で、妙見祭の祭礼行列を復活させ、利休直系のわび茶など様々な文化を八代に根付かせ、八代の文化はさらに洗練されていきました。三斎没後、八代城は細川家家老の松井家にゆだねられ、松井家は220年にわたって八代城下町とその周辺地域を支配する「八代の殿様」となりました。松井家初代康之も千利休の高弟で、代々現在に至るまで肥後古流の茶道や金春流の能を伝えています。元禄元年に松井直之が建てた海沿い(当時)の茶屋「松浜軒」は「国の名勝」に指定されています。このように、八代の「城下町文化」は全国的にも面 白い歴史文化の宝庫なのです。
明治時代に近代的な港湾として八代港が整備されると、明治23(1890)年 に九州第1号のセメント工場ができたのを皮切りに、製紙工場、日曹人絹パルプなどの工場が次々に八代へ進出し、八代は工業都市へと発展していきま した。新しい工場が立ち並び、いぐさの生産も伸びて繁栄し、商店街、歓楽街 や日奈久温泉の賑わいは熊本一でした。昭和15年に八代町から市になります が、まもなく戦争に突入。敗戦後のまだ厳しい時代の昭和29年、文芸春秋社の巡回講演会が代陽小学校の講堂で行われ、講師が「ゴザ」に座って並ぶ聴衆に向かって「八代の文化施設の遅れ」を指摘したことが、議会で論議になるとい うことがありました。
翌30年、坂田道男新市長が就任すると、経済のみならず、教育文化方面の両 輪の向上を政策にかかげ、「市庁舎は後回しでも文化センターは建設」という強い方針が示され、文化施設の整備が論議されはじめました。
昭和34年1月に、岸信介改造内閣が成立し、八代市長の息子である坂田道太氏が厚生大臣として入閣したタイミングで「厚生年金還元融資」の導入が可 能となり、文化センターの建設財源問題が急展開します。制度利用のため、「文化センター」から「厚生会館」にあった施設内容とし(←「別館」の存在理由)、当面の関連予算が計上されました。
昭和34年4月、再選を果たした坂田道男市長は「市民の文化生活の促進と市民格の向上を図る」と市政方針で表明しました。その年、大蔵省から厚生年金還元融資の承認を得て、在京の「芦原建築設計研究所」に設計を依頼したことが議会で報告され、いよいよ「厚生会館」が具体的な形を持って進み始めることとなります。
厚生会館の設計を依頼されたのは、坂田道太氏の高校時代の同級生で、世界的な名建築家の芦原義信でした。「都市景観をふまえた上での建築の在り方の重要性」を戦後の日本でいち早く述べており、建築界に大きな影響をもたらしました。「建物の無い建築」としての「空間」を設計に取り入れた『外部空間論』で世界に知られた建築家です。
音響の設計は石井聖光。日本初のクラシック専用ホールである「ザ・シン フォニーホール(大阪)」など、数々の名ホールの音響を手掛けた巨匠です。「地方都市のホールだからこそ、本物の材質を」という方針のもと、石垣様の壁素材を中心にした重厚な作り、音響の精度を優先した作りは優れた景観・建築美と音響効果を生み出し、熊本が誇る名建築、名ホールとなりました。
厚生会館とかつての別館、城跡が囲む芝生広場やホワイエ周りのピロティは、芦原建築の代名詞ともいえる『外部空間』として、市民の憩いの場として設計されています。
席数964(立見席含1200名収容)と適度な大きさの厚生会館ホールですが、2階席を設けてありません。これは設計者の芦原義信が、地方都市・八代市にふさわしいコミュニティのあり方を考慮して、「一体感のあるアットホームなホール」にしたからで、1000人が生の音を体感できる、稀有なホールです。 また、細川・松井家由来の伝統芸能に配慮して、花道も設けられました。
昭和37年6月13日、「市民の文化並びに福祉の増進を図るとともに市民の集会等に供する」として、八代市厚生会館設置条例が議決されました。興国人絹からの緞帳をはじめ、肥後銀行などの企業から備品類が寄付されました。20日には正式に竣工し、市に引き渡され、7月18日に落成式を迎えます。
式典での、坂田道男市長、坂田道太衆議院議員の式辞に込められたのは、「経済的格差の克服」「地方格差の克服」「市民格の向上」という、その時代の政治家としては非常に先進的な、視野の広い理念でした。
古くより港を拠点とした大・文化都市であった八代が、干拓で飛躍的な農業生産力を得、工業都市として発展しながら、やはり市民社会の向上というものを考えたときに、旧城下町に「文化の殿堂」厚生会館を築いたという意味は、八代市民にとって失ってはならない歴史なのです。
1964年の労音機関紙『やつしろ』によると、「厚生会館の出来た頃、八代市の 財政能力から、デラックスな会館設立の可否についてはいろいろ問題はあったが、それはそれとして、出来上った以上は、我々市民の施設として大いに活用しようではないか、ということになった」とあります。厚生会館は、こうして市民の文化活動の拠点となっていきました。
2005年、八代市は合併し、4つのホールを所有することとなります。
◉厚生会館 ◉ハーモニーホール ◉パトリア千丁 ◉鏡文化センター
※パトリア千丁は現在「八代公民館」
2009年、厚生会館に「耐震工事」が実施されます。芦原事務所が担当し、建設当時のデザインが残されたことが、後に大きく評価されることになりました。また、球磨川の玉砂利を用いたコンクリートは中性化度がほぼ「ゼロ」で、2020年度に実施された劣化度調査でも理論上「震度7」に耐えうる耐震強度が確認されました。
厚生会館設立に込められた「理念」は、今も八代市の「運営方針(2016年(H28)3月策定)」に残されています。▶「入場者数や収益などの短期的な目標ではなく、具体的な数値としては現れにくい地域文化の担い手育成という長期的な視点から評価を積み上げていく」
2016年4月、熊本地震では厚生会館はダメージをほとんど受けず、6月から「文化の殿堂」として再開しています。
同年5月、妙見祭保存振興会をはじめとする関係4団体が「八代民俗伝統芸能伝承館」の整備について市議会に陳情を行っています。11月には「熊本地震八代市復旧復興プラン」に「八代民俗伝統芸能伝承館」の整備について「厚生会館の別館の改築」と併せて検討していきます、と明記されます。
12月の議会で、伝承館建設地を厚生会館別館の場所にと議会への報告なしに「庁内」のみで決めたことを「議会軽視だ」という指摘もありました。一方で、市は松浜軒や八代城跡、八代市立博物館などをクルーズ船入港時に観光ルートに組み込めるよう、大型バスが複数台駐車可能なスペースについて検討を進める、と回答しています。
2018年、八代市は厚生会館の吊り天井の改修予算を計上しながら執行せず、他に流用していまいます。
2019年6月には別館が「解体」され、厚生会館は「2年間"休館"」とだけ説明していましたが、実際は別館にあった機械棟が破壊されて使用できなくなっていました。この事実は市民には知らされませんでした。
2020年、市は「4つのホールのあり方検討委員会」を設置し、市民3000人にランダムに送るアンケートを実施しました。委員会でも、アンケートでも、「厚生会館」を廃止する方向に都合の良い意見だけが利用されていくことになります。
2020年から行われた厚生会館の劣化度調査では、「部分的なコンクリートの中性化や軽微なクラック(ひび割れ)等は確認されたが、(中略)大きな損傷や劣化は見られない状況である。構造体としては直ちに大規模な改修が必要な状況ではないと判断する」という結果でした。
2021年2月、政策会議に提出された劣化度調査の報告は「大規模な改修が必要」と、実際の報告とは真逆のもので、ここで「再開中止」が決まりました。
2021年7月31日、厚生会館の別館と機械棟を解体した跡地に「お祭りでんでん館」が開館しました。実は「でんでん館」は厚生会館の存在が設計条件となっていて、厚生会館の機械設備を入れる空間がありますが、市は厚生会館の機械設備回復の予算を伝承館建設費に入れていませんでした。
2021年6月、国際学術組織『DOCOMOMO(ドコモモ)』の日本支部が、厚生会館を「日本におけるモダン・ムーブメントの建築に認定」と発表しました。
日本建築学会九州支部や日本建築家協会九州支部熊本地域会など、全国の建築の専門家から次々と厚生会館の保存についての要望書が提出されて います。
2022年5月、10,374筆の署名を添えて「ホール再開を求める」要望書を八代市に提出。同時に、八代市議会にも「ホール再開を求める」陳情書を提出。
2023年7月25日、八代市議会で「厚生会館設置の条例廃止」が可決される。

参考:
熊本県公式観光サイト「もっともーっとくまもっと」No.053 「中世の八代」講師/熊本県立図書館 高野茂
ウィキペディア「八代市」八代史談会会報「夜豆史呂」139号(平成14年) 「つくってよかった厚生会館、その時代」菱田美昭
正教寺麓城文庫
落成式式典音源(docomomo Japan)
熊本県博物館ネットワークセンター蔵 竹田家資料